塾の話
タマ・チャンは塾っぽい塾に行ったことがない。
が、3歳から中学生ぐらいまで公文行くもんしていた。
中学生になってからは良く言えばフェードアウトした。包み隠さず言えば行かなくなった。悪く言えばサボった。
公文はめちゃくちゃ個人作業だし家からかなり遠いとこだったので全然友達はいなかった。
だからタマ・チャンは塾でできる友達とか塾で友達と一緒に食べるご飯とかに今もなおすごく憧れている。
けど、他の生徒さんと関わった鮮明な記憶が一つだけある。教室の奥地にある読み聞かせの部屋みたいなところでの話だ。
読み聞かせを待っている時に隣の赤ちゃんがタマ・チャンの膝におもむろに乗り始めたのだ。
今考えれば赤子がそんなに懐くなんて非常に貴重かつ愛らしい経験なので、当時のタマ・チャンがとっても羨ましい。
しかし、その時は小学校低学年で幼かった上に今ほどのキッズ好きじゃなかったからか微々たる恐怖を感じた。
先生やその赤ちゃんのお母さんは「同じ血液型だからかな〜?」と言っていたけど、それはなんの根拠にもなっていない。血液型占いは結構信じるタマ・チャンでも、それだけはねえだろと幼心に思ったのを覚えている。
あの赤子は大きくなっただろうか。タマ・チャンの魅力にあの歳で気づくなんて相当賢い子だろうし良い子に育ったに違いない。
通っていた公文は家から遠かったので、小学生になってからは電車を使っていた。
そして、帰宅時には同じ駅で降りる誰よりも早く改札を通らなければいけないという謎のルールを己に課し日々鍛錬していた。特に何も得られない本当に無意味な努力ではあったのだが、めちゃくちゃ頑張っていた。
誰と競っていたのかと疑問に思うだろうが、意外とライバルは多かった。ダッシュおじさんは結構いる。
おじさんも心の内ではびっくりしていたと思う。夜の電車に小学生女子が乗っていて、そんなキッズが、ドアが開いた瞬間に飛び出し改札へ向けて階段をかけ上るのである。恐怖の域だ。
もしかしたら日々電車通勤をしているというプライドから、おじさんらはタマ・チャンに応戦していたのかもしれない。そう思えば彼らはいいライバルだった。
それでも若さと元気さはなかなか手強かったようで、おじさん達がタマ・チャンを打ち負かすことはそうそうなかった。
ちなみにタマ・チャンは駅を出た瞬間にダッシュを辞めるので別に早く帰れていたわけではない。ただただ勝利への渇望が彼女を走らせていたのだ。
本当に無駄な戦いだった。そんなことならもっと勉強を頑張れよ、と今となっては思っている。
KUMONに行ってたからまだ頭がマシになったと思えば、やっててよかった、公文式。そういう心持ちである。野村萬斎の後継者として次期公文のCMに出てやってもいい。
でも正直野村萬斎に一切親近感は抱けないから野村萬斎がいくら公文を幼少期にやっていようが仲間だとは思えない。
野村萬斎ほどタマ・チャンの対極にいる人間はいない。
野村萬斎と友達になれ、と言われたらフレンドリーさに定評のあるタマ・チャンでも正直自信をなくす。
もし野村萬斎と友達になったらなんて呼べばいいだろうか。本名はタケシというらしい。でもどう考えてもタケシとは呼べないし萬斎と呼ぶのも違和感がある。
ノムと呼ぶのはどうだろうか?ノムだったらタマ・チャンでも呼べそうな気がするし親しくなれそうな予感がする。よし、ノムと呼ぼう。
まぁ、ノムはタマ・チャンとは呼んでくれないだろう。少し寂しいがしょうがない。ノムはそういう人間だ。
でも、ノムと何を話したらいいか全くもって分からない。公文の話しか共通の話題がない。公文であった面白い話なんて持ち合わせていない。
多分だけど、ノムは野菜の美味しい食べ方に興味があると思う。生じゃなくて茹でる、茹でるじゃなくて蒸すタイプの人間だと思う。
ノムはきっとヤングコーンとかが好きだと思うけど、タマ・チャンは別に好きじゃないからどうしたらいいか分からない。困った。
あ、でもとりあえず、にほんごであそぼトークで3分は持たせられる気がする。3分過ぎてからが勝負だ。ただ「ややこしや」を歌われたらその場で仲は壊滅するに違いない。あの歌ほど幼少期のトラウマな歌はない。
もしこれを読んでいる皆さんの中にノムの友人がいたらノムはどんな話が好きか教えて欲しい。
あと、タマ・チャンは基本的に聞き専なので、ノムがおしゃべりでいてくれると有難いと言っていたと伝えて欲しい。
あと、タマ・チャンは話し相手にボケてもらえると嬉しいので、ノムに積極的にボケてくるよう伝えておいて欲しい。