夏休みの話

 

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夏休みにはしゃぐ子供ほどエモいものはない。

 

絶賛帰省中のタマ・チャンは音楽を聴きながら電車に揺られていた。中高時代に聞き慣れた駅名のアナウンスと見飽きた車窓からの風景を懐かしみながら、タマ・チャンはボーッとしていた。

 

田舎だからか微妙な時間帯だからか、車内は空いていて何組かの親子と中学生、そしてマダム達が乗っていた。

ちなみにタマ・チャンの真正面に座っていた高校生ぐらいの女の子がはちゃめちゃに可愛くてつい見つめてしまった。タマ・チャンはこういう時に自分が女子大生であることに感謝する。もしタマ・チャンがおじさんだとしたら必然的に“イケオジ”ではなく“キモイおっさん”になるので、哀しいかな、見ていただけで一発アウトで前科持ちだ。おじさんに人権を。

 

ある駅に停車していた電車が出発しようとしていた時、タマ・チャンの耳に「バイバイ!」という声が飛び込んできた。

その声は4歳か5歳ぐらいの男の子のものだった。

気になり外を見てみると、電車から少し離れたところに車とその窓から出された手があった。男の子は、その人に向かって精一杯声をかけているようだった。そして、その手は男の子に応えるように大きく振られていた。

男の子はその人に自分の声が届いていないことも知らず、手を振りながら嬉しそうに一緒にいる自分のお父さんに話しかけていた。

 

あの手はおじいちゃんだろうか、おばあちゃんだろうか。その子は今日どこに行くのだろうか。

そんなことを考えながら、タマ・チャンはエモさに悩殺された。いつか終わりが来ると知っていながら、普段は思うように共に時間を過ごせない両親からの愛を存分に受け、夏の暑さに純粋に向き合い、非日常を楽しむ子供達。日記をつけたら情緒が半減してしまうような若さと、ただ楽しかったという記憶だけを鮮やかに残す熱さ、そして永遠には続かない儚さ。この時期はまるでみんな一過性の熱にうなされているようで、エモい。

 

タマ・チャンはよくエモいという言葉で片付けようとする癖があるのだが、それはよくないと自分でも分かっているから責めないでほしい。

 

タマ・チャンの中でのエモいの定義は、ある神秘的な対象に対して、想像の余地があるその無限の可能性に心奪われ、そこに見え隠れし交差する光と影の関係に謎の切なさを覚えて胸がゆっくりとときめいて締め付けられる感情である。菅田将暉中村倫也池松壮亮はエモ三銃士だ。

 

エモいという言葉は基本的に趣深さを感じた時に発している。

何回も言うが、タマ・チャンは相当趣を味わいがちな人物なのである。

やっぱり生まれてくる時代を間違えたかもしれない。平安時代に生まれていればきっとモテモテだったに違いない。平安時代ならいくら太っても許される。4ヶ月で7キロ太ろうが関係ない。

でも、髪の毛を伸ばさなきゃモテないという個性を踏みにじる謎ルールには耐えられないし、メンタルは激弱なので歌バトルとかしたくないし、顔も知らねえ男と一晩過ごすとかありえねえし、風呂入れねえとかやってらんねえし、着物重そうだし、お母さんとか厳しそうだし色々面倒くさそうだなァ。

タマ・チャンと逢瀬を遂げたいであろう平安時代の男性達には悪いが、やっぱり平成の女でよかった。

 

話がめちゃくちゃ脱線した。電車だけに。

 

は?